東京ヤクルトスワローズオールタイムベストナイン‼︎ 各時代のタイトルホルダーが目白押し!助っ人選手も優秀なオールタイムベストナイン

NPB現行の12球団に、2004年の球界再編問題により吸収合併されてしまった、近鉄バファローズを加えた13球団の、「オールタイムベストナイン」を選んでみたいと思う。球界の歴史の中に埋もれさせたくない選手も数多く選出されると思うが、なんせ私の独断と偏見で選出しているため、いろいろとご異論もあるでしょうが、数ある意見の中の一つとしてご覧いただければと思います。

今回はセントラルリーグ2連覇中の東京ヤクルトスワローズ編。

オーダー

1.(二)山田哲人

2.(右)若松勉

3.(一)ロベルト・ペタジーニ

4.(三)村上宗隆

5.(DH)アレックス・ラミレス

6.(左)ウラディミール・バレンティン

7.(捕)古田敦也

8.(遊)宮本慎也

9.(中)青木宣親

(投)金田正一

1番から9番までどこからでも1発が飛び出す重量打線だが、中軸打者は三振も多く穴もある。しかし古田などは選球眼や配球の読みも鋭く打率も残せる。三振数の割には出塁率の高い打者が多いのも特徴である。相手バッテリーからすれば、投手のボールにかなりの力がないと「ホームランにならなければOK」というリードになってしまい、難しい勝負になる。

投手歴代最高の通算38本塁打を放っている金田は「ワシに打たせい!」といってDH制を拒むだろう(ちなみに通算安打数は406)

選考のルール

選考にあたって、いくつかのルールを設けておきたいと思う。

・投手は先発、リリーフという括りはせずに選ぶ。

・野手は各ポジションごとにスターティングメンバーを一人選出し、控え選手も選ぶ。

・一人が、監督、選手として複数のチームに登場する事はしない。

・DH制を採用する。

・外国人枠は撤廃。つまり、全員外国人のオーダーもあり得る。

・複数球団に所属歴のある選手は、全盛期と思われる球団に所属することにする。

・1チームの最大選出人数は、現行のNPBの1軍登録枠の29名までとする。

・当該球団の発展に貢献した人物を、最低1名選ぶ。

・記載の記録は2021年までのNPB通算成績。

球団名の変遷

国鉄スワローズ(1950〜1965)

サンケイスワローズ(1965)

サンケイアトムズ(1966〜1968)

アトムズ(1969)

ヤクルトアトムズ(1970〜1973)

ヤクルトスワローズ(1974〜2005)

東京ヤクルトスワローズ(2006〜)

ノミネート選手

投手

金田正一 400勝298敗 防2.34

前人未到の400勝投手。通算奪三振4490は当時の世界記録。長身左腕から投げ下ろす快速球と、「2階から落ちる」といわれた大きく縦に割れるカーブで奪三振の山を築いた歴代最高の投手。自己管理も徹底しており、20年間で5526イニングスを投げて大きな故障とは無縁であった。

松岡弘 191勝190敗41S 防3.33

弱い時代のチームを支え続けた1970年代のエース。快速球で1978年の球団初のリーグ優勝と日本一に大貢献した。2桁勝利を重ねながらも勝ち星を上回る敗戦が続き、当時のチームが低迷期でなければ楽に200勝を達成していた。

安田猛 93勝80敗 17S 防3.26

「ペンギン投法」の愛称で親しまれ、抜群の制球力を誇った技巧派のサイドスロー左腕投手。王貞治キラーとしても名を馳せた。名スコアラーとしてもチームの日本一に貢献。コーチとしての指導力も評価が高かった。

川崎憲次郎 88勝81敗 2S 防3.69

野村監督時代のエース。一時期故障で低迷するが、シュートを覚えて華麗に復活。並みいる強打者のバットと心をへし折り野村ヤクルトの黄金期を築き上げた。また、ジャイアンツキラーでもあり通算29勝を挙げている。

石井一久 143勝103敗 1S 4H 防3.63

最速155kmを誇る本格派左腕。高い三振奪取率を誇りシーズン三振奪取率の日本記録保持者である。後にメジャーへ移籍してカットボールやツーシム、チェンジアップを覚えて投球の幅を広げていった。

高津臣吾 36勝46敗 286S 8H 防3.20

先発投手として入団したが、野村監督と出会いクローザーに転向。緩急2種類のシンカーを武器に日米通算300セーブを達成した。その後、日米韓台と4カ国のリーグを渡り歩き独立リーグで引退。2021年監督としてチームを日本一に導いた。

五十嵐亮太 65勝39敗 70S 163H 防2.93

最速158kmの速球が最大の武器。同時期に活躍した左腕の石井弘寿と共に「ロケットボーイズ」を形成し、リリーフ投手として活躍。後にメジャーに移籍し、23年間の長きに渡り投げ続けた。

石川雅規 177勝176敗 3H 防3.86

167cmの体で多彩な変化球を駆使し、毎年コンスタントに2桁勝利を積み重ねる小さな大投手。抜群の安定感で首脳陣の信頼も厚く、これまで9度の開幕投手を務めている。1度だけ代走として出場したことがある。

林昌勇 11勝13敗 128S 21H 防2.09

サイドスローとアンダースローを使い分け、最速160kmの速球を武器に抜群のマウンド度胸で強打者のインコースを攻めていった韓国球界を代表する投手。スワローズではクローザーを務め、韓国代表のクローザーも務めた。

トニー・バーネット 11勝19敗 97S 49H 防1.26

最速156kmの速球に、打者の手元で良く動くボールを得意とし、安定した投球でスワローズ救援陣を支えた。球団史上最も長く在籍した外国人投手である。気さくな人柄でファンとチームメイトに愛され、現在はスワローズの編成部アドバイザーに就任している。

捕手

古田敦也 .294本217点1009

強肩と相手の裏をかく好リードが持ち味のセ・リーグ最高の捕手。盗塁阻止率はシーズン記録、通算記録共に日本記録。打撃でも中軸を打ちセ・リーグ捕手初の首位打者を獲得している。選手兼任監督も務めた。

捕手控え

大矢明彦 .245本93点479

1970代のセ・リーグを代表する名捕手。巧みなリード、強肩、キャッチングと全てが一級品で投手陣の信頼も厚かった。松岡、安田らとチームを牽引し、球団初の日本一に導いた

八重樫幸雄 .241本103点401

1980年代の正捕手。低迷期から黄金期の幕開けまで長くスワローズのブルペンを支えた。オープンスタンスの代名詞として高い知名度を誇る。

内野手

一塁手

ロベルト・ペタジーニ .312本233点635

プロ野球史上でもトップクラスの安定感を誇る優良助っ人。確実性と長打力を兼ね備えた打撃は全ての数字が高水準で、全部門でタイトル争いの常連だった。年上の奥さんも有名になった。

二塁手

山田哲人 .286本271点801

これまでに、2年連続を含む3度のトリプル3を達成しており、更なる更新に期待がかかる。勝負強さも兼ね備え国際舞台の経験も豊富であり、日本代表でも大事な局面で印象的な本塁打を放っている。

三塁手

村上宗隆 .281本160点430

現4番打者。19歳で36本塁打は10代最多記録。2022年は5打席連続本塁打、令和初、史上最年少の三冠王と王貞治の記録を更新するシーズン56号本塁打を達成するなど次々と記録を更新。東京オリンピックでも決勝戦で優勝を決める本塁打を放つなど、日本を代表するスラッガーとして着実に成長している。

遊撃手

宮本慎也 .282本62点578

捕球・スローイング技術共に歴代でトップクラスの安定感と堅実性を誇る守備の名手。プロ入り当初は打撃を苦手としていたが、しぶとさを武器に研鑽を重ねて2000本安打を達成するまでになった。三塁手としてもゴールデングラブ賞を受賞している。

内野手控え

広沢克己 .275本306点985

野村監督時代の4番打者。勝負強い打撃で打点王を2度獲得。得点圏ではチーム打撃に徹して華麗な右打ちを魅せた。1984年ロサンゼルス五輪の金メダリスト。

池山隆寛 .262本304点898

「ブンブン丸」の愛称の通り豪快な打撃で人気を博したスター選手。遊撃手としては最多の5年連続30ホーマーを達成。守備も秀逸で広い守備範囲と矢のように鋭いスローイングが武器だった。

岩村明憲 .290本193点615

野村監督退任後の主砲として活躍。本塁打を量産すると共に、抜け目のない走塁で多くの得点シーンを演出した。華麗なグラブ捌きで本職は三塁手ながら、日本代表とメジャーではセカンドも守った。

佐藤孝夫 .238本150点432

弱小時代を主砲として支えた国鉄球団最後の本塁打王。俊足も武器でルーキー時代の45盗塁は当時の新人記録。

外野手

左翼手

ヴラディミール・バレンティン .266本301点794

鋭いスイングで本塁打を量産し、三振も多かったが2013年にはNPB記録となるシーズン60本塁打を達成。同年の長打率.779もシーズンNPB記録。強肩も武器だった。WBCオランダ代表では4番を務めた。

中堅手

青木宣親 .320本137点617

高打率で3度の首位打者を獲得してメジャーへ移籍。数球団でレギュラーとして6シーズンプレーした後、スワローズへ復帰。主に1番と3番を担当。2度のWBC制覇にも貢献。日米通算で2500本安打を達成しているヒットメーカー。

右翼手

若松勉 .319本220点884

北海道が生んだ小さな大打者。広角に巧みに打ち分けるバッティングで首位打者2回、打率3割を12回達成している。通算220本塁打と長打力も持ち合わせていた。6000打席以上の通算打率では1位。監督としても日本一に導いた。

外野手控え

町田行彦 .233本129点459

19歳で4番に座り、1955年の21歳での本塁打王を獲得は現在もセ・リーグ最年少記録。飛ばないボール時代に31本塁打を放ち、「西のホームランキング中西太」に対し、「東のホームランキング町田行彦」と並び称された長距離打者。

杉浦享 .284本224点753

中学時代は陸上部だった変わり種。入団後レギュラー奪取までには時間を要したが、力強く安定した打撃で二度の日本一に貢献。一塁と外野手を兼務した。打球スピードが速いのが特徴。40歳で迎えた1992年の日本シリーズ第1戦の延長で代打サヨナラホームランを放ち引退を撤回。

チャーリー・マニエル .303本189点491

赤鬼の愛称で本塁打を量産し、1978年の球団初の日本一に猛打で大貢献した強力助っ人。後に移籍した近鉄でも初優勝に貢献し、2年連続の本塁打王。打率・本塁打・打点全てで高い数字を残した。帰国後は監督として日本式の練習法を取り入れて、フィラデルフィアフィリーズをワールドチャンピオンに導いた。

指名打者

アレックス・ラミレス .301本380点1272

勝負強く毎年安定した打撃成績でタイトルを争い、長く活躍した超優良助っ人。のちに外国人枠を外れた。巨人、DeNAでも活躍し外国人選手枠入団選手初の2000本安打を達成。パフォーマンスでも人気を博しファンに愛された。DeNA監督時代にはチームを日本シリーズに導いた。2019年日本帰化。

監督

広岡達朗

現役時代は巨人の名ショートとして、ライバルであった阪神の吉田義男としのぎを削った。1977年にコーチから監督へ昇格すると、徹底した管理野選手の選手の私生活から食生活までを厳しく指導。反発される事も多かったが結果で雑音を封じ込めた。1978年に球団初のリーグ優勝と日本一に導く。後に西武ライオンズで4年間で3度の優勝し、黄金時代の礎を築いた。基本に忠実な技術指導の手腕も高い歴代トップクラスの名将。

特別功労枠

相馬和夫(球団社長)

1985年4月に球団社長に就任。積極的な若手の抜擢を指示し、当時低迷していたチームのぬるま湯体質を改善していった。また、編成部門の大幅な見直しを進めて積極的なドラフト戦略を成功。ドラフトで競合した目玉選手を次々射止めたことから「黄金の左腕」と呼ばれた。

このメンバーでペナントレースをシュミレーションしてみる

さて、上記のメンバー構成でのペナントレースはいったいどのような戦いぶりになるのか?正直かなり個性的で面白いメンバーが揃っている。投打に各時代のタイトルホルダーを配して投手は剛速球に必殺の変化球を持ち合わせた器用な投手が多く、野手はスタメン・リザーブ共に打って守れる選手が多い。

ローテーションの軸となるピッチャーはもちろん400勝投手金田。歴代の全ての投手を合わせてもエースとなり得るピッチャーである。中4日でもOKで、優勝のかかった終盤戦ではスクランブル態勢でリリーフとしても準備OK。ただし、正捕手の古田のサイン通りに投げてくれるかどうかが唯一の懸念材料である。しかし全盛時の球威ならリードは不要かもしれない。2人とも我が強い性格のため衝突する可能性があり、金田の時だけは大矢か八重樫がマスクを被ることもありそうだ。金田に続くのが、日米で活躍した最速155km左腕の石井一久だ。このサウスポー2枚看板はかなり強力であり、この2人だけでチームの勝ち星の半数近くを稼げそうだ。そこに初優勝時のエースの松岡、90年代のエース川崎、そして2000年代のエース石川が続く。

このチームはリリーフ投手が非常に優秀で、松岡と共に70年代を支えた安田は先発もリリーフもこなせる。最速158kmの五十嵐も中継ぎ。韓国代表のクローザー林昌勇、長く日本で活躍した優良助っ人のバーネットがセットアップに回り、日米通算313Sの高津が最後を閉める形が最も安定しそうだ。

このチームは、国鉄・サンケイ・アトムズ時代と低迷期が非常に長く、初優勝までに28年を要しており、そこまでに目立った活躍をした投手は金田1人だけだったので、長い間苦しい戦いを強いられ続けてきた。

第2エースとして通算118勝の村田元一、金田を凌ぐ投球回数で1961年に初のAクラス入りに貢献した北川芳男、シーズン20勝を挙げて酒仙投手と呼ばれた石戸四六など活躍した投手もいるが、金田のように数年続けて高い数字を残し続けた投手はいない。

70年代以降は鈴木康二朗、高野光、尾花高夫、甲子園のアイドル荒木大輔、最多勝投手伊藤昭光など活躍した投手はいたが、頭数が揃わず、強力投手陣の形成は90年代の野村監督時代まで待たなければならなかった。

それ以降も優秀な投手を獲得し続けている。高速スライダーが武器で、93年に1試合16奪三振の記録を作り新人王に輝いた伊藤智仁、92年の日本シリーズで獅子奮迅の活躍を見せた岡林洋一といったあたりは怪我に泣かされてしまい、選手寿命が短いため残念ながら選外となった。

95年にノーヒットノーランを達成して日本一に貢献したテリー・ブロス、先発の柱として大活躍したセス・グライシンガーも好投手だったが、ブロスは96年以降は弱点をさらけ出してしまい低迷。グライシンガーは非常に頼れる存在であったが、1年のみの在籍で巨人に移籍してしまったため選外とした。

捕手は文句なしで古田敦也で決まり。歴代最高の盗塁阻止率を誇る超強肩と捕ってから投げるまでの速さ、そしてキレイなキャッチングと好リードと非の打ち所がない。加えて2年目にはセ・リーグ捕手初の首位打者と翌年は30本塁打を放ち、打でも長きに渡り中軸として活躍。リードの頭脳を打席でも活かし、野村ID野球の申し子として徹底的にリードをたたき込まれた。メガネがトレードマーク。

2番手の大矢も超強肩。78年の初優勝時の正捕手として、松岡、安田、鈴木康二朗らを好リードで支えた。

八重樫は当時では珍しかったオープンスタンスの代名詞として人気が高かった。勝負強い打撃でも活躍。

内野手での悩みどころは、実はショートである。池山隆寛と宮本慎也でおおいに悩んだ。

世間的なイメージでは宮本が最高クラスのショートであり、一択であると思われがちだが、池山の守備能力も高かった。肩の強さでは池山が上である。三遊間の深い位置から矢のような送球を繰り出していた。また足も速く、守備範囲でも負けていない。そして池山の最大の魅力は長打力。遊撃手初の5年連続30本塁打を記録しており、三振は非常に多かったが、各チームのエースピッチャーをパワーで粉砕した。対する宮本は、入団当初は打撃では全く期待されておらず守備だけがクローズアップされていたが、実は簡単に三振をしないしぶとさがあり、努力を重ねてシーズン3割をマークし、2000本安打に辿り着いた。かなり悩んだが、ヒット性の当たりを正面のゴロにしてしまうポジショニングのうまさと確実性、そして通算安打の多さで宮本を選出した。

一塁はペタジーニ、杉浦亨、広澤克実で悩んだ。3人とも外野も出来るが、ペタジーニの外野守備はお世辞にもうまいとはいえない。しかし打力では文句なしに歴代外国人で最高クラスの能力を持っていた。杉浦の打球のスピード、打点王2回の広澤の打撃も捨てがたいが、ここは圧倒的な打力のペタジーニを選出。

二塁手は山田哲人の一択。史上最多3度のトリプルスリーの達成は文句のつけようが無い。2022年でまだ30歳、さらなる更新が期待できる。

サードは岩村明憲と現役の村上宗隆で悩んだが、2022年の圧倒的な成績と今後のさらなる飛躍も加味して村上を4番で選出。しかし岩村も捨てがたい。打つだけでなく安定した守備力で内外野複数ポジションを守り、走塁のうまさも光る万能型プレーヤーとして、2度のWBC制覇に貢献し、メジャーでもレギュラーを張った。DHで使うのはもったいない。

1987年に現役バリバリのメジャーリーガーとして来日して社会現象を巻き起こした、ボブ・ホーナーの圧倒的なパワーと高い打撃技術も魅力的だったが、在籍期間が短すぎるため選外とした。

外野手にも好打者が揃っているが、共に好守走3拍子揃ったヒットメーカーである若松勉と青木宣親を選出した。お互い毎年のように高打率を記録して、首位打者を複数回獲得しており、NPB通算打率でも上位を占めている。

ここの悩みどころは外国人選手の使い分け。長期間安定した成績を残し続けたラミレス、シーズン最多本塁打記録保持者のバレンティン、勝負強さが光ったマニエル。ここは強肩で鳴らしたバレンティンをレフトに置き、ラミレスをDHで起用することにする。マニエルは監督とソリが合わず近鉄時代の活躍の方が印象深い事と、守備と走塁で足を引っ張っていたため控えに回ってもらうことにした。

「ヤクルトの監督」というと、近年では野村克也のイメージが強いが、史上初の3000試合出場を達成し、通算657本塁打を放った大打者を選手として選出しないわけにはいかない。このベストナインは選手と指導者の掛け持ちは出来ないというルール設定なので、野村はホークスの選手として選出することになる。

そこで名将といえば、やはり広岡達朗をおいて他にはいない。徹底した管理野球で球団創設以来低迷し続けていた弱小球団に戦う意識を植え付けて、勝ち方を教えて球団初の日本一に導いた手腕は、球界全体の歴史を見てもトップクラスの能力を持った指揮官だと言っても過言ではない。それは後に招聘された西武ライオンズの黄金時代を築いた事をみれば明らかである。戦術面だけでなく、卓越した理論で技術指導にも定評があり、その理論には全て裏付けがあったので、選手も納得し、すぐに結果に結びついた。指導に即効性があったことがこの人の最大の魅力ではなかろうか。

特別枠は、黄金の左腕で数々のドラフトの目玉選手を引き当てた「ドラフトの神様」こと相馬和夫元球団社長。この人が持つ強運が後の黄金時代に繋がっていったことも忘れてはいけない。

先述のホーナーも一大センセーショナルを巻き起こしたことで特別枠に入れようか迷ったが、ヤクルトスワローズは、外国人選手が「当たる」ことでも定評があり、スカウティング能力の高さが窺い知れる。

特に80年代~90年代前半は、バブルだったこともあり、メジャーの実績者を獲得している。ホーナーと違い、選手としては峠を過ぎていたが、フロイド・バニスター、ダグ・デシンセイ、ラリー・パリッシュらを獲得している。

その後も、ジャック・ハウエル、ドゥエイン・ホージーがタイトルホルダーとなるなど活躍が目覚ましい。

投手でも、ディッキー・ゴンザレスやローガン・オンドルーセックらも力強いボールを投げて安定した投球を披露した。

最後に、内野手で選出されている佐藤孝夫と、外野手の町田行彦を紹介しておきたい。共に1950年代に本塁打王を獲得しているが、飛ばないボール時代の戴冠であった。

佐藤は強打と俊足も武器にしており、通算でも200盗塁を達成。一方の町田は長打力と強肩が武器で、リーグ最多捕殺を3度記録している。

2人共引退後は指導者としても長く活動しており、佐藤は現場を離れた後もスカウトとして球団に貢献。町田もスワローズの他に巨人や台湾で打撃コーチを務めている。

各年代にタイトルホルダーを排出してきたスワローズであるが、球団黎明期の弱い時代を中軸打者として支えた強打者2人を、歴史に名を埋もれさせたくないプレーヤーとして紹介させていただいた。

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