2023年夏の甲子園は、慶應高校(神奈川)が107年ぶりの優勝で幕を閉じた。
そしてこの慶應高校、髪型が自由なのである。髪型が自由な野球部自体は、現在においてはそれほど珍しい事ではないが、全国制覇をするような高校ではちょっと記憶にない。
監督の森林監督が、選手の自主性を尊重するスタイルを取っているため、ヘアスタイルにも制限をかけていないようであるが、それにしても甲子園優勝という結果に結実させた事は見事である。
この選手の自主性という事に関しては、またの機会に触れてみようと思う。
それでは、「日本の野球部はなぜ坊主なのか?」これが今回のテーマ。
実は私の高校の野球部は、坊主必須ではなかったのだ。時代がマッチ棒の火くらいに動き出そうとしていた過渡期であったのかもしれない。
がしかし、通っていた中学校の野球部が坊主必須で、これがまた酷かった。
当時の顧問は、「気合い」「根性」の精神論を連発する軍国主義の生き残りのような教師であり、まさに鬼軍曹。その鬼のような顧問にこんな質問をぶつけられたことがある。
「おい、なんで野球部は坊主なのかわかるか?」
私は答える事が出来なかった。こっちはただ坊主にして来いと言われただけだからしているだけだ。こんな愚問に答えられるわけがない。すると顧問の解説はこうだ。
「髪の毛を伸ばしたりすると、もう髪型ばっかり気にしだす。そうすると他の事に集中出来なくなっちゃうからだ。」
私「…」
そんなくだらない理由のために坊主頭にさせられているのかと思うと情け無くなったと共に、この人の言うことを聞いても、選手としては成長出来ないとハッキリ悟った瞬間であった。
こちらはプロ野球選手を目指して野球をしているのだから、プレー中に髪型が気になるとか、そんな発想になるわけがない。仮にそういう奴がいたとしても、そんなヤツらと一緒にするなと思ったし、これはもう指導者の自己満足以外の何ものでもない。
それと坊主を廃止に出来ない指導者のあるあるがもう一つ。
それは「自分の代で伝統を打破することへの恐怖」である。「もし坊主を廃止して、勝てなかったらどうしよう」という恐怖と、「自分が監督をしている代から髪型を自由にして、この先何年も負け続けたら俺のせいにされる」という責任逃れのためである。こういう変化対応力のない人、変化を恐れる人間は、そもそもが指導者には不向きなので今すぐ辞めた方がいいと思う。だが、この伝統への忠誠心と、変化と責任からの回避こそが1番の理由と言えよう。
もう一つ困るのは、指導者が
「俺はこれで成長出来たから」
という根拠のない経験談が1番キツい。坊主で成長出来ると言うのならば、社会人となった現在でもずっと坊主にしていればいいのに。
仮に甲子園に出て、プロ野球の歴史に残るような人物が言うのであれば、まだカッコがつくのかもしれないが、それでも裏付けなどない。ましてやアマチュアでさしたる実績もない人物の言葉だとすれば、なおさら理解に苦しむ話である。
でも、本当は選手の自主性を尊重して、髪型を自由にしてあげたいという指導者の方々は大多数いるはず。
そんな指導者の皆さんの背中を押します!
「安心してください!髪型を自由にする事を恐れる必要はないですよ!」
なぜなら、髪型を自由にしたら勝てなくなったというデータは、ほとんど存在しないからです。
日本の野球部は、坊主の割合の方が多すぎるので、比較出来るほどのデータが存在しないのだ。もちろん、比較などする必要もないのだが、指導者の皆さんは安心が欲しいはず。
もし伝統を破って髪型を自由にして、OBに文句を言われたらこう言ってあげてください。
「ずーっと坊主だったので、髪の毛を伸ばしたら弱くなるというデータは存在しません。比較対象がない以上やってみなければわかりません。責任は私が取りますので、どうか選手達を見守ってやってください」と。
そして、選手達の変化を感じ取ってください。
視野が広くなり、自主性が芽生え、必ず良い結果が出るはずです。
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