オリックスバファローズが優勝し、パ・リーグ3連覇を達成。先日はセ・リーグで阪神タイガースが優勝を決めた事で、1964年以来59年ぶりの「日本シリーズ関西対決」の機運が高まっている。
ここで1964年の南海ホークスvs阪神タイガースの日本シリーズについて遡ってみる。
パ・リーグ覇者の南海ホークスは、野村克也、杉浦忠、ジョー・スタンカ、広瀬叔功らが全盛期を迎えた当時の最強チーム。率いていたのは大親分こと鶴岡一人監督。
対するセ・リーグ優勝の阪神タイガースは、藤本定義監督の下エース村山実を筆頭に、この年29勝を挙げ、防御率も1.89で投手2冠に輝いたジーン・バッキー、牛若丸こと名ショート吉田義男、そしてこの年世紀の大トレードでオリオンズから加入した主砲山内一弘らを要し、2位の大洋ホエールズをデッドヒートの末、1.0ゲーム差で退けてシリーズに乗り込んできた。
このシリーズは第6戦終了時点で互いに3勝ずつの大接戦。勝負の行方は最終第7戦までもつれ込んだのだが、なんとこの日が東京オリンピックの開会式と重なってしまい、観客は全7試合で最小の1万5千人であった。
このシリーズ、全試合を1番ショートで出場した吉田義男氏(90)は、「野球がローカルな物に感じられて悔しかった」と、当時を振り返る。
第7戦は、連投となる南海ホークスのエース、ジョー・スタンカが、シリーズ初となる2試合連続完封勝利を挙げる活躍を見せて3-0で南海が勝利して日本一を達成。スタンカはシリーズを通して3勝を挙げてMVPを獲得した。
実はこのシリーズ、途中雨で1試合順延してしまい、東京オリンピックの開会式当日と日程が重なってしまったのだ。なんという運命のイタズラ。
とはいえ、開会式との時間をずらすため、ナイターで開催されたのだが、それでも扱いは小さくほとんど話題にならなかったと当時の関係者は振り返る。
当時は読売ジャイアンツの人気が絶対的であり、その巨人が優勝戦線から脱落してしまったことも要因のひとつとして挙げられるのかもしれない。(翌年から巨人はV9を達成)
しかし時代は変わりました。
阪神、オリックスの両チームがクライマックスシリーズを勝ち上がれば、59年の時を経て再度実現する関西決戦は盛り上がること間違いなし!
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