NPB現行の12球団に、2004年の球界再編問題により吸収合併されてしまった、近鉄バファローズを加えた13球団の、「オールタイムベストナイン」を選んでみたいと思う。球界の歴史の中に埋もれさせたくない選手も数多く選出されると思うが、なんせ私の独断と偏見で選出しているため、いろいろとご異論もあるでしょうが、数ある意見の中の一つとしてご覧いただければと思います。今回は、阪神タイガース編。
オーダー
1.(右)真弓明信
2.(左)マートン
3.(DH)バース
4.(三)掛布雅之
5.(捕)田淵幸一
6.(一)藤村富美男
7.(中)金本知憲
8.(二)岡田彰布
9.(遊)吉田義男
(投)江夏豊
選考のルール
選考にあたって、いくつかのルールを設けておきたいと思う。
・投手は先発、リリーフという括りはせずに選ぶ。
・野手は各ポジションごとにスターティングメンバーを一人選出し、控え選手も選ぶ。
・一人が、監督、選手として複数のチームに登場する事はしない。
・DH制を採用する。
・外国人枠は撤廃。つまり、全員外国人のオーダーもあり得る。
・複数球団に所属歴のある選手は、全盛期と思われる球団に所属することにする。
・1チームの最大選出人数は、現行のNPBの1軍登録枠の29名までとする。
・当該球団の発展に貢献した人物を、最低1名選ぶ。
・記載の記録は2023年までのNPB通算成績。
球団名の変遷
大阪タイガース(1935年~1940年9月24日)
阪神軍(1940年9月25日~1944年)
大阪タイガース(1946年~1960年)
阪神タイガース(1961年~)
ノミネート選手
投手
江夏豊 206勝158敗193S 防2.49
投手としての能力の全てを高いレベルで兼ね備えた最高クラスの天才サウスポー。5球団を渡り歩き、先発とクローザーの両方で大活躍した優勝請負人。球界初の100勝100Sを達成。オールスター9連続奪三振、最優秀救援投手6回、シーズン401奪三振のNPB記録保持者。
若林忠志 237勝144敗 防1.99
ハワイ生まれの日系2世。28歳での入団ながら、45歳までプレー。サイドスローから七色の変化球を操った黎明期のプロ野球を代表する技巧派。ちなみに彼が18番を付けてエースとして活躍したことが後に「18=エースナンバー」と言われるようになった。
藤村隆男 135勝97敗 防2.65
ミスタータイガース藤村富美男の実弟。サイドスローから繰り出す切れ味鋭いカーブとシュートを武器に、若林忠志や同い年のライバル梶岡忠義と共に1リーグ時代の黎明期から1950年代の阪神投手陣を支えたクレバーな投手。2年連続20勝も達成。
小山正明 320勝232敗 防2.45
針の穴をも通すと言われたコントロールの良さが最大の特徴で、「投げる精密機械」と称された320勝投手。後にパームボールを習得し、テスト生から大エースへと上り詰めた。徹底した自己管理による高いプロ意識は後輩達のお手本となった。NPB史上唯一の両リーグ100勝を達成している。
村山実 222勝147敗 防2.09
「ザトペック投法」と呼ばれた闘志むき出しの全力投球を心情とした球史に残る大エース。3種類の投法から三段フォークと快速球を武器に、各球団の主砲を押さえ込んだ。長嶋茂雄のライバル。
ジーン・バッキー 100勝80敗 防2.34
ハワイ朝日軍でプレーしていた1962年に訪日しテスト入団。日本でのトレーニングで制球力を磨きエース格の投手に成長。1964年に29勝を挙げ、阪神のリーグ優勝に貢献。最多勝、最優秀防御率、ベストナインと共に外国人初の沢村賞を受賞。
山本和行 116勝106敗130S 防3.66
フォークボールを武器に700試合に登板し、先発・抑えの両方で活躍。日本一になった1985年はクローザーとしてチームを支え、100勝100Sを達成した。FA制度のない時代に、ロサンゼルスドジャースと契約寸前までいったことがある。
マット・キーオ 45勝44敗 防3.73
1987年に阪神に入団。ちょうどチームが暗黒時代に突入した時期に入団したこともあり、打線の援護は少なかったがエースとして孤軍奮闘。抜群のコントロールとキレのあるカーブで2桁勝利を重ねた。父のマーティーも1968年に南海ホークスでプレー。
藤川球児 60勝38敗243S 163H 防2.08
「火の玉ストレート」と呼ばれた伸びのあるストレートを武器に、各チームの主砲から奪三振を重ねた球史に残るリリーバー。「史上最高のストレート」という議論では必ず真っ先に名前が挙がる投手。ストレートを待っていても空振りを取れるほどの威力があった。JFKのF。
ジェフ・ウィリアムス 16勝17敗47S 141H 防2.20
「動く速球」と「消える」と表現されたスライダーを武器にリリーフで大活躍をした豪州代表のサイドハンドのサウスポー。とにかく打ちづらい投手として名を馳せた。国際大会でも幾度となく日本代表の前に立ちはだかった。JFKのJ。
久保田智之 41勝34敗47S 32H 防3.16
最速157km/hの剛速球を武器に先発、セットアップ、クローザーとフル回転。シーズン90試合登板のNPB記録保持者でもあるように、登板過多のため故障も多かったが、連投でチームを献身的に支え続けた。JFKのK。
捕手
田淵幸一 .260本474点1135
虹のような美しい放物線を描くホームランを放った「ホームランアーティスト」。打数に対する本塁打率が非常に高かった。王貞治の14年連続本塁打王を阻止した。4番打者として本塁打を量産する一方で、強肩捕手としての盗塁阻止率も高かった。
土井垣武 .282本79点654
1リーグ時代を代表する強肩強打の名捕手。別当薫、藤村と共にダイナマイト打線のクリーンナップを形成し5番打者を担当。熱血漢でニューヨークヤンキースの往年の名捕手から「和製ヨギ・ベラ」の異名を取った。
矢野燿大 .274本112点570
98年に中日から移籍。移籍1年目から正捕手の座へ着いた。卓越したリードと通算守備率.996を誇る堅守が武器。移籍後は打撃も開眼し、高打率と一発を秘めた勝負強い打撃で2度のリーグ優勝の中心選手としてチームを牽引した。
内野手
一塁手
藤村富美男 .300本224点1126
初代ミスタータイガース。ものほし竿と呼ばれた長いバットを使い強打を誇ったプロ野球黎明期のスーパースター。ダイナマイト打線不動の4番として、首位打者1回、本塁打王2回、打点王5回。
二塁手
岡田彰布 .277本247点836
1985年日本一達成時の5番打者。1年目からレギュラーとして活躍。指導者としても評価が高く、阪神球団のみでの唯一の選手・監督としての日本一経験者。
三塁手
掛布雅之 .292本349点1019
テスト入団から這い上がり、不動の4番へと上り詰めたホームラン王。高い打撃技術で広角に本塁打を打ち分け、頼れる4番として君臨し、チームの顔として球団初の日本一に大貢献。
遊撃手
吉田義男 .267.本66点434
今牛若丸と呼ばれた史上最高の遊撃手。守備だけなく盗塁王2回、最多安打も1回獲得している。監督として球団初の日本一を達成。退任後はフランス代表監督も務めた。400勝投手金田正一に滅法強かった。
内野手控え
鳥谷敬.278本138点830
NPB歴代2位の1939試合連続出場記録を誇る平成の鉄人。骨折しても試合に出続けた。抜群の選球眼を武器に走攻守で常に安定した成績を残し続けた好選手。
三宅秀史 .252本100点376
吉田義男と鉄壁の三遊間を組んだ名三塁手。二塁の鎌田実も含めた内野陣は、試合前のシートノックで金が取れると言わしめた。700試合連続試合フルイニング出場の記録を持つ元祖鉄人は、難しい打球処理を簡単に見せるほどの名手であり、俊足と強打も武器だった。
トーマス・オマリー .315本123点488
NPB在籍6年間全てのシーズンで3打率割をマーク。安定感と勝負強さを兼ね備えた優良助っ人。後年はヤクルトに移籍して日本一に貢献。引退後はコーチ、駐米スカウトを歴任。
藤田平 .286本207点802
晩年ではあったが名手吉田義男を2塁へ回し、2年目から遊撃のレギュラーに定着。阪神初の生え抜きの2000安打達成者。
外野手
左翼手
マット・マートン .310本77点417
来日1年目にいきなり当時の日本記録であったシーズン214安打を達成。在籍6年で最多安打3回、首位打者1回の安打製造機。慈善活動にも熱心でな部分と日本の文化に積極的に馴染もうとする姿には好感が持てた。
中堅手
金本知憲 .285本476点1521
2003年に広島からFA移籍。1492連続試合フルイニング出場の世界記録保持者。阪神でも主砲として無類の勝負強さと、抜群の長打力でチームを牽引。広島時代にはトリプル3を達成している。
右翼手
真弓明信 .285本292点886
移籍組とは思えない存在感を放った二枚目のリードオフマン。長打力、巧打、俊足、堅守を兼ね備えた史上最強の1番打者。異なる3ポジションでベストナインを獲得している。
外野手控え
新庄剛志 .273本269点875
歴代でもトップクラスの強肩と守備範囲を誇り、独特の守備理論を持っていた史上最高クラスの外野守備の名手。イチローと共に日本人野手初のメジャーリーガー。長打力もあり、敬遠球をサヨナラヒットにするなど意外性の男。
赤星憲広 .295本3点215
レッドスターの愛称と共に走りまくったスピードスター。歴代最高クラスの快速を武器に攻守に渡って活躍。新人からの5年連続盗塁王は歴代最長記録。守備範囲の広さと打球への反応の速さも一級品。
近本光司 .285本55点568
現役で唯一の選出。2023年日本シリーズのMVP。2023年の守備率10割は見事。入団から5年間で4度の盗塁王を獲得。打撃にも磨きをかけて、シーズン200安打と首位打者の獲得にも期待がかかる。
指名打者
ランディ・バース .337本202点486
史上最強の助っ人の呼び声も高い、外国人初の2年連続三冠王。1986年のシーズン打率.389はNPB記録。三冠王獲得時は、2年連続最多安打も達成している。
監督
藤本定義
伊予の古タヌキの異名をとるほど戦略に長けた名将で、人心掌握術にも優れていた。日本で初めて先発ローテーション制度を本格的に導入した。唯一阪神と巨人の両チームで監督を歴任した監督であるが、プロ野球選手としての登録実績はない。
特別功労枠
川藤幸三 (代打兼総合コーチ) .236本16点108
浪速の春団治。選手時代後半は代打の切り札としてベンチ入りしていたが、野次将軍としてベンチの真ん中にドカッと陣取り、貴重なムードメーカーとして初の日本一に欠かせない戦力として大貢献。
このメンバーでペナントレースをシュミレーションしてみる
伝統球団だけに、非常に選手層が厚く選考には頭を悩ませたが、リーグ優勝を果たした1964年2005年、初の日本一を達成した1985年のメンバーがやはり中心となる。
投手陣の層はかなり厚く、プロ野球黎明期の1リーグ時代でも若林忠志を中心にかなりの好投手が揃っている。
そんな好投手揃いの中でエースには江夏豊を指名したい。剛速球、変化球のキレ、コントロールと投手に必要な要素の全てを最高レベルで持ち合わせた天才左腕。リリーフ専門投手が確立していない時代に革命を起こし、クローザーとしても大活躍をしたが、このチームでは先発に専念。そこに村山、小山が続き先発の3本柱としてローテーションの中心となっていく。外国人投手初の沢村賞投手のバッキー、暗黒時代に孤軍奮闘したマット・キーオも加わる。
リリーフ陣もかなり強力な布陣。1985年の初の日本一達成時の山本和行を筆頭に、2005年優勝時の「JFKトリオ」と呼ばれた藤川、ウィリアムス、久保田の3人を加えた救援陣は盤石。
黎明期の若林は有名だが、藤村富美男の実弟の藤村隆男は馴染みのない名前。しかし2年連続20勝など通算135勝を挙げており、歴史にその名を埋もれさせたくない大投手。
この他にも、藤村隆男のライバルで1952年の最優秀防御率投手の梶岡忠義や、御園生崇男、メジャー移籍した井川慶と藪恵壹、ランディ・メッセンジャー、能見篤史などもいる。2023年に新人王とMVPをダブル受賞した村上頌樹の今後の活躍にも期待。
捕手は圧倒的な長打力と強肩、そしてスター性も加味して田淵幸一で決まり。控えの1番手は2度のリーグ優勝を経験し、後に監督も務めた矢野燿大。もう1人は土井垣武と辻佳紀と、ダンプの相性で親しまれた辻恭彦の3人で悩んだが、規定打席に到達した回数の多さで土井垣に決定。他には1985年日本一達成時の正捕手木戸克彦も候補に挙がった。
内野手はすんなりと決まったが、一塁、三塁、DHの使い分けで悩んだが、バースをDHに置き、守備力にも定評がある藤村と掛布をそれぞれ一・三塁手として起用。藤村は、投手、外野手としても活躍しただけあり、強肩のスローイングにも定評があったので三塁でも使いたいのだが、掛布は三塁専門なので、藤村は一塁に回ってもらうことにした。
内野手では、三塁で名手三宅秀史もスタメンに入れて、吉田と鉄壁の三遊間を組ませられないのが残念。同時代に長嶋茂雄がいたためベストナインの受賞は1957年の一度のみだが、守備力では上回っていた。
巧打で活躍した藤田平とオマリーが控える。
名前が挙がっていない選手では、鎌田実、中村勝広、和田豊、久慈照嘉、平田勝男といった守備の名手に、勝負強い打撃で活躍した今岡誠などがいる。
外野手は、2人はすんなりと決まった。ライトの真弓、センターの金本は共に移籍組なのだが、両名とも前所属球団の出場試合数を上回っているため阪神タイガースで選出。もう1人をマートンと赤星憲広で最後まで迷ったが、来日初年度の2010年に、当時のNPB記録であったシーズン214安打を放った事に敬意を表し、赤星には控えに甘んじてもらうことになってしまった。「ダイナマイト打線」の形成を優先に考え、打力重視の選考となった。外野のスタメンは、全員生え抜きではない選手となった。しかし入団から5年連続盗塁王で、プロ野球史でもトップクラスの快速を誇った赤星のスピードと守備力は捨てがたいので出番は多いはずだ。
その赤星をも上回る守備能力の持ち主である新庄剛志が控える布陣は強力。現役の近本は今後さらなる飛躍が期待される。
その他では、1リーグ時代から活躍した金田正泰、首位打者を獲得した田宮謙次郎、坪井智哉、そして長打力を武器に晩年は代打の神様としても活躍した桧山進次郎らがいる。
野手で残念ながら選出することが出来なかった伝説的な選手がいる。戦前に沢村栄治のライバルとして活躍した景浦将である。投手としても活躍した景浦は、戦前の飛ばないボール時代において、ただ1人圧倒的な打力を魅せたという逸話が残されている。ただ当時の映像などはほとんど残っておらず、現代との比較があまりにも難しいため今回は涙を飲んだ。
指名打者は助っ人外国人から選出することとなり、ランディ・バースの1択で文句なし。2年連続3冠王の成績は数字の内容も圧巻で、出塁率も4割を超えている。史上最強の助っ人の称号に異論無し。
その他には、メジャーの実績者として来日し、木枯し紋次郎の愛称で親しまれたウィリー・カークランド、田淵、掛布と共に強力打線を形成したハル・ブリーデンとマイク・ラインバックなどがいる。
1989年に来日し主砲を務めて38本塁打を放ったセシル・フィルダーは、帰国後メジャーで2年連続本塁打王を獲得しバースを大きく凌ぐ出世を果たしたが、1年のみの在籍だったこともあり選外とした。
この個性派揃いのチームを束ねる監督は藤本定義。戦前の野球界に、現代の先発ローテーション制に繋がる起用法を取り入れ、精神論がはびこっていた昔の野球界の既成概念を覆してきた彼ならば、藤村、江夏、新庄といった超個性派達でも、持ち前の人身掌握術で手のひらで転がすようにうまく乗せて潜在能力を100%引き出してくれるはず。
最後に、特別功労枠として川藤幸三を選出しておきたい。代打の切り札としても活躍したが、それ以上に阪神タイガースのムードを醸し出すのには欠かせない貴重な戦力である。ヤジ将軍として大声を張り上げてベンチを盛り上げるのはもちろんのこと、外国人選手に将棋を教えるなどして決して孤立させないようにした気配り無くして阪神タイガースの日本一はあり得なかった。新庄剛志のパフォーマンスと融合して甲子園球場に大フィーバーを巻き起こし、熱狂的な寅党のファンと共にプレーヤー達の背中を押すのは間違いない。
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